ああ、そっか。
ここは誰にも知られてないから(知ってるひとしか知らないから)
好きなこと自由に書いていいんだ。
フェイスブックとかじゃない、10年も前から続けてきた単なる日記。
ここを開いたら、ちょっと安心した。
心のゆれが激しくて体調を崩した。
久々の不安。
熱をはかるたびに、頭痛がするたびに、肩こりになるたびに、
小さな恐怖がもたげる。
まいにち足が痙攣する。(らしい)
右足らしい。
一緒に寝てる彼を心配させてるだろうなあと思う。
今日は一人で寝ててはっきりと痙攣(びくっていう動き)を感じとった。
それも何度も。
地震かと思うくらい自分の足の痙攣で目が覚めて、熟睡できなかった。
それは多発性硬化症の再発とは関係ないよ、とかかりつけのお医者さんは言ってくれるのだが。
難病をテーマにしたドラマが放送されている。
『僕のいた時間』
そりゃドラマで、主役はキラキラの三浦春馬で、現実こんなんじゃないよって思うところもあるけれど、
ちいさな感情表現を上手く演じていると思う。
思わず涙がこぼれそうになる。
ドラマの中では主人公の彼は家も裕福だし、友人もいるし、職場の理解があって、
かなり恵まれた境遇だと思われる。
現実世界、家族や身の回りのひとに恵まれてない場合はどうやって生きていけばよいのだろう。
私自身、家族や周りのひとたちに多く恵まれ助けてもらっている。
一人だったら…と思うと怖くて想像もできない。
おそらく仕事も少ししかできず、住むところがない、医療費が払えない、となるだろう。
何かひとつ欠けていたら、今の現実はないのだ。
そんな中で、最近考えていたこと。
頼るしかないから、頼って生きていこうと思ってた。
でもあきらめない。自分の人生を。
誰かのせいにして生きたくない。もちろん病気のせいにもしたくない。
「私の人生、だれも代わってはくれない。」
ちゃんと自立しよう。
たとえ厳しくても、無理であっても、自立をめざそう。
誰かの手は、最低限借りるでいい。
自分の人生に自分で責任をもとう。
どうしたいかなんて、自分で決めること。
自分主体で決めていくこと。
そして、そのうえで私が考えてもどうにもならないことは、
いさぎよくあきらめるのだ。
どーでもいいや、と思うのだ。
それが自分の体を守る方法だと思う。
超ねちっこくて、嫉妬深くて、根にもつ、実はくら~いタイプの私。
いさぎよく、サバサバした女になりたいよ。
一朝一夕でなれるものじゃないけれど、
要は強くならなければ。
それは自分のためでもあるのだ。
生きやすい今後のためにも、強く、さばさばと。